2010年7月18日 (日)

Wさんの武勇伝

今週末も予定がいっぱい。
金曜の夜には、只見町のハンターWさんと飲みました。

古民家を借りて、囲炉裏の上でバーベキュー。
肉は、Wさん提供です。
イノシシ、エゾシカ、シカ、カモ、極めつけはクマの手。
クマの手は、形がそのままでちょっとリアル。
コラーゲンは、たっぷり。

Wさんの狩猟にまつわる話やその他の話、ここには書けない話が満載で、只見の夜は更けていきました。

眠いので、今日はここまで。

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2008年7月 8日 (火)

モノ書き稼業はもう大変

父ちゃんです。

石田君の講演会の感想は、別項のとおりですが、その周辺の話題。

前日から田島入りした石田君ですが、当初は前日の早い時刻に到着の予定でした。
しかし、雑誌のレイアウトが届かないとかなんとかで着いたのは午後6時前。
列車の中でも原稿書きをしていたそうで、我が家に到着してメールを一つ送信しました。

その後、川原での宴会が、午後11時くらいまで。
家に帰ってきて風呂入って寝るのかなと思いきや、なんとパソコンに向かって原稿書きを始めたのでした。

翌朝、父ちゃんが6時に起きると、石田君の部屋はパソコンと電気がついていて、石田君はパソコンに向かったまま布団の上でごろ寝していました。
一体彼は何時間寝たのでしょう。

朝食後、少し寝させて下さい、と布団に横になる石田君。
1時間くらい寝て起きた石田君は、出版社の人に電話したり、原稿をFAXで送ったり。
また原稿書きを始めたり。

あちこち案内しようと思って、仕事を休んでいた父ちゃんは手持ちぶさたで食器洗いや家の片づけ。

10時過ぎ。
「終わりました。遊びに行きましょう」と石田君。

下郷町の湯野上温泉の露天風呂に行きました。
ここは、阿武隈川の急流のすぐそばにある露天風呂。
風呂桶があるだけで脱衣所も水道も建物も何もありません。
自然をそのまま味わう温泉に「いやあ、良いところですねー」と石田君は大満足の様子でした。

ちょっと早めの昼食を、やはり下郷町の姑娘(くーにゃん)で食べました。
ここのラーメンに「喜多方よりうまい」と大絶賛。

お昼過ぎに小学校に行き、講演会の準備。
講演会終了後、校長やPTA会長等と面談のあと、父ちゃんの車に乗り込みました。
行き先は、田島駅ではなく、那須塩原駅。
夜、人と会う約束があるとかで、それに間に合わせるには新幹線しかないのです。
午後5時ころ、那須塩原駅に到着して、石田君は去っていきました。

なんでもこの9日間の間に講演が6つもあるのだとか。
いやあ、モノ書き稼業は大変だなあ。

今度、もっと暇なときに遊びに来てね。
南会津は楽しいよ。

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2008年7月 3日 (木)

石田ゆうすけ講演会

父ちゃんです。

田島小学校で石田ゆうすけ君の講演会があります。
石田ゆうすけ君は、「BE-PAL」や「サイクルスポーツ」などに連載を抱える旅行エッセイスト。
自転車で世界一周している男です。

開催日時は、7月4日(金)14:15~15:15、
場所は、田島小学校体育館です。
児童と父兄対象ですが、部外者も聴講OK!(だよね?)
お近くの興味のある方来てください。

父ちゃんは、なぜ馴れ馴れしく「君」づけで呼んでいるかというと、その秘密はここ。
http://yoyo37.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_4ea5.html

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2007年8月11日 (土)

Kのこと

父ちゃんです。

高校時代の友人にKという奴がいた。
バイタリティ溢れ、極めて多趣味な奴だったが、俺との接点は、主にマンガだった。
当時、同人誌を発行していたKは、やはり多少マンガを描いた俺を仲間に引き入れたのだった。
マンガやアニメについて、いろいろ語ったり、マンガの原稿を仕上げるために、友人宅に泊まりがけで酒飲みながら描いたこともあった。
交友関係の広いKは、俺をいろんな場所に引きずり出した。
当時、男子校で女子との接点が殆どなかった俺であったが、ハンバーガーショップなどの片隅で行われる同人誌なんかの集まりに、どきどきしながら参加したものである。

高校卒業後、初めてスナックというところに俺を連れて行ったのもKである。
Kは、気軽に店の兄ちゃんや姉ちゃんと話していたが、俺は、ホストの兄ちゃんに話しかけられても、何をしゃべっていいのか判らず、般若心経などの話をした記憶がある。
(後日、Kは、もう俺を連れてこないでくれ、と言われたそうだ。)

そんなKが若くに結婚した。
美人の嫁さんをもらった。
やや太めでひげ面のKに、なぜあのような美人の奥さんが、とみんなは驚いた。
そして、間もなく女の子が生まれた。
幸せの時である。

しかし、根っからの遊び人であるKは、奥さん子どもをほっぽりなげて釣り三昧。
休みの日は、家に居着かない。
奥さんとのケンカは絶えなかったようである。
俺が相馬市(福島県の海沿いの街)に住んでいたころ、会津から一人で釣りしに来たこともある。

最近、Kとは会っていなかった。
そんなKの話を聞いたのは、おとといの夜。

訃報だった。

すい臓ガンだったようだ。
聞けば、ここ数年、不摂生がたたってか、いろんな病気を併発していたようである。

葬儀会場で遺影を持っている中学生の娘を見たとき、怒りや悲しみが同時に襲ってきて、涙がとまらなくなった。
なぜ、体をもっと大事にしなかったのか。
なぜ、家族をもっと大事にしなかったのか。

病床で、Kは奥さんに「いままでごめんな、ありがとう」と言ったそうだ。

大バカ野郎である。

・・・・・・・・。

今はただ冥福を祈る。

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2006年8月23日 (水)

石田くんがやってくる

父ちゃんです。

ビーパルなんかに執筆している石田ゆうすけ君がやってきます。
石田くんは、自転車で世界一周をした男。
何で父ちゃんは、知っているのかと言うと、
経緯は「それいけ!しょうへい」で紹介したことがあるので、その記事を再録します。

よーし、今夜は飲むぞー。

(2003年12月26日の「それいけ!しょうへい」みんなの広場より)

1998年、大竹氏と一緒にキリマンジャロに登ったときのこと。
我々と同じ行程で登っていた一人の日本人青年がいた。

初日に泊まった山小屋で、リーダー志古田氏が高山病の注意と対策について話していたとき、
「一緒に聞いていいですか」と我々の輪に混ざってきた。
キリマンジャロの行程は4泊5日。
以降、年が近いこともあって、いろいろ話ながら山を登っていった。

彼は、5年前から自転車で世界一周旅行を行っており、
その途中でキリマンジャロに登っているのだという。
行動食に持ってきたスルメをあげると、スルメってこんなに旨かったんだとえらい感動していた。
いろいろ話している時に、大学の話になり、僕が弘前大学にいたというと、
「あ、僕、弘前大学に行ったことあるんですよ。
当時は、自転車で日本一周をしていたんです。
山登りのサークルの人にお世話になって・・・。名前は何ていったかなあ?」
「ん? ひょっとして、焚き火やっている所に現れなかった?」
「あ、そうです。」
「それ、俺らだ。
寮の山登りサークルの安寿会の新歓コンパやってたときに、君が自転車で来たんだ。」
「あー、そういえば。福島の渡部さん。
憶えてますよ。いやあ、年取りましたねえ。」
「君も年取ったねえ。」

話は遡ること、1988年6月。
弘前大学の寮の山登りサークル安寿会の新歓コンパが、
弘前市郊外の座頭石という場所で行われていた。
新歓コンパは、屋外で焚き火を囲んで一晩中呑みまくるというのが伝統になっていた。
コンパが始まってしばらくした頃、
安寿会の先輩の尾藤氏が自転車に乗った一人の青年を連れてきた。

それが彼であった。実に11年ぶりの再会である。

彼の名は、石田ゆうすけ。
その後、どうしたかなと思っていたが、昨年12月に世界一周の旅を終えたらしい。
その彼が、本を出した。
「行かずに死ねるか!」実業之日本社 1500円。

良かったら買ってください。ビーパル1月号198pに書評が載ってます。

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2006年5月 3日 (水)

西田の古民家

父ちゃんです。

一昨日(5/1)、運動会の翌日につき小学校はお休み。

よし、みんなで会津に花見に行こう。
天気予報は? え、雨!

残念ながら、天気予報によると、会津も中通りも雨の予報。
さて、どうしよう。
そうだ、久しぶりにYさんちに行こう。

という訳で、家族揃ってYさんちに行って来ました。
Yさんは、郡山市郊外の西田町という農村に住む一家です。
子どもが3人いて、
親も子も、ちょうど同じくらいの年回りなので仲良くしています。
この日は、お母さんと、2番目の娘を除く2人の子どもがいました。

久しぶりに行ったYさんちは、えらくこざっぱりしていてびっくり。
家周りの壁は、柿渋を塗った板張りになっているし、
薪ストーブは2台に増えているし、
資材置き場になっていた部屋もちきんと片づいて、
何故かマッサージ台が置いてあるし、
いつの間にか屋根裏部屋もあるし。

そう、この家は、古民家を改築したものです。
ボロボロだった古民家を買い取ったYさんは、
少しづつ改築を進めています。
難しい仕事は大工さんにたのんで、自分でできるところは自分たちで。
予算と時間の都合上、そのペースは実にゆっくりです。

ここにこんなのがあったら面白いんじゃないか。
といった具合に計画がたてられ、実行されていきます。
この家に完成形は無いのかもしれません。
ああ、楽しそうだなあ。

さて、この日は、父ちゃんがピザを作ったり、
母ちゃんが紙芝居をしたり、
家の近くの山を散策したり、
といった具合にのんびり過ごしました。

一時、パラッと雨がちらついたものの、殆ど降りませんでした。
おーい、天気予報やーい。

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2006年3月27日 (月)

湯口くんのこと

父ちゃんです。

父ちゃんが大学時代に所属した山登りサークル「安寿会」は、
いろいろと過剰な人が多くいました。
大学を休学して、海外を放浪する人などは珍しくなかったです。
山の中でも、テンションが高くて、
冬山でも沢でも、毎晩大酒飲み大会。
他のパーティーからは、顰蹙を買うくらいです。
(ので、なるべく人のいないところに行きました。)

そんな一人、湯口公くん。
父ちゃんの5年下なので、直接一緒だったことはありませんが、
卒業後、ちょくちょく遊びに行っていたので、
名前と顔は知っていました。
昨年、安寿会の後輩の結婚式で会い、
直後に登った宮城県の大東岳では、大酒飲んで、
滑(なめ)沢を全裸でウォータースライダーをやっていました。

彼は、航空自衛隊のパイロット。
そんな彼が、このたび、星野道夫の愛したアラスカで、
ブッシュパイロットを志すようです。

いやあ、やるなあ。
今度、遊びに行こう。

彼の記事の載った北海道新聞の記事はこちら。
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20060325&j=0025&k=200603254236

彼のホームページはこちら。
http://talkeetna.sakura.ne.jp/

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2006年3月22日 (水)

響きの森

父ちゃんです。

父ちゃんが関わっている岩瀬薪割りクラブは、
いつも、須賀川市の「響きの森」で行っています。
ここは、岩瀬地方森林組合の組合長である渡辺一夫氏の
所有している山林です。
全部で80ヘクタールくらいあるそうです。

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何故、響きの森というのか?
ここに設けられたツリーハウスの大きなステージがあります。
このステージから音を出すと、音がものすごく響くのです。
すり鉢状になった山のおかげです。

渡辺氏は、ここで音楽会を開いたり、
各種イベントを実施したり、と自分の山を開放してきました。

中心となる広場は、大きなナラやアカマツ、スギの木が
まばらにあり、どこでも歩ける明るいスペースとなっています。
ここも10年前は、
鬱蒼として藪だらけの山林だったと言います。

それに道をつけ、みんなで刈り払い、木を伐採して、
このような広場を作りました。
相当の苦労があったようです。

年輩の方が来ると、昔の里山のたたずまいだ、
と感激されるようです。
父ちゃんは、昔の里山の姿は知りませんが、
とても気持ちのいい場所であることは、保証します。

ツリーハウスも、実習の現場を探していた日大工学部の学生が
作り上げました。

今、盛んに活動している薪割りクラブも、
基本的に活動内容が山の手入れなので、
開催する度に山がきれいになっていきます。

渡辺氏は、ここに合宿施設を作って、森林環境教育の拠点にしたい、
と語ります。
夢を持ち続けることは、素晴らしいことです。

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2006年2月12日 (日)

若き家具職人

父ちゃんです。

前の話の続き。
冬場ゆっくり過ごしたいと言いましたが、
冬場はギャラリーを閉めて、
家具づくりに専念する若き家具職人がいます。

天栄村の廃校で活動する若林くんです。

彼は、日大の建築学科で学んだ際に、
家具づくりの才能を見いだされ、
教授や周りの勧めもあって、
就職せずにそのまま家具職人の道に進んだのです。

彼のつくる家具は、その人柄を反映して、
シャープながらも暖かみを感じさせます。

冬場は、ずっと家具づくり三昧の日々を送っているようです。
ものづくりをする人間は、
ものづくりに専念している時間が幸せなんだよな。

そういう時間が持てなくなって久しい。
きっと父ちゃんのところにも「モモ」の時間どろぼうがきているのでしょう。
まとまった時間のとれる彼がうらやましい限りです。

彼と奥さんの日常が繰り広げられる「めばえ公舎」のブログはこちら。
http://plaza.rakuten.co.jp/mebae/

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2005年11月26日 (土)

干し柿

父ちゃんです。

郡山市西田町という農村に古民家を改築して住んでいるYさん一家がいます。
伝統的な自然な暮らしを面白い、という観点で見る人たちです。
面白い楽しいと思ったことについては、過剰なまでに追求するので、話を聞いているだけで、こっちも楽しくなってきます。

さて、先日、Yさんの奥さんから母ちゃんに電話がかかってきました。

干し柿を作ろうと思ったのよ。
それで、家の庭に柿を植えようという話になったんだけど、柿がなるまで何年かかるか判らないじゃない。
それより、採ってない柿が周りにいっぱいあるから、それをもらおうってことになってさ。
それで、あちこち聞いてみたわけ。
柿が欲しいって言うとさ、みんな、あんなものって言って、なかなか、うんって言わないのよ。
一人のおばあさんが、じゃあ、持っていきなっていったので、採らせてもらったの。
うん、30キロの米袋5袋いっぱい。
少しあげるね。

と言う訳で、うちに大量の柿がやってきました。
今、軒先に吊してあります。

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