« 会津自然エネルギー機構 | トップページ | 独立国家のつくりかた »

2013年3月 9日 (土)

南相馬に行こう!

国道6号線を南下するバスの車窓から太平洋が見えた。
海が見えたことに、私は驚いた。
かつては、防風林と建物により海が直接見えることは無かったのだ。

ここは南相馬市。
原町区から小高区へ向かうバスの中だ。
しらかわ地域グリーン・ツーリズム推進協議会の面々と共に、農家民宿の研修会に参加した。

バスには、南相馬の語り部、阿部あきこさんが同乗、津波の被害を語った。
「6号から海が見えることは無かったですね。
防風林と集落があったんだけど、全部津波で無くなってしまった。
こんなに海が近かったのかってね。」

東日本大震災により、南相馬の沿岸部は壊滅的な被害を受けた。

バスは小高区へ入る。

「小高区に入ると、景色が一変します。
まだまだ片づいていない。」

小高区は、現在は避難指示解除準備区域となっており、日中の出入りは自由である。
しかし、被害の傷跡が生々しく残されている。
壊れたガードレール。
津波に襲われた集落。
田んぼの中に残る自動車。

小高区の村上地区へ。
語り部の生まれ故郷である。
集落の殆どが津波による被害を受けた。
海岸に面した高台に、波切不動尊という社がある。
昔から、津波のときはこの波切不動尊のあるたての山に逃げろという言い伝えがあったとか。
よくよく海沿いなのだが、ここは津波による被害をまぬがれている。

「不思議なんだけどね。
ここだけは、大丈夫だったんですよ。
ここに逃げた人は無事だった。
でも、今は車社会だからね、みんな車で遠くに逃げようとした。
集落を出るところの橋が、地震で段差ができちゃって、越えられなくなってね。
なんで、ここに逃げて来なかったんだって。」

集落の多くの人が亡くなった。

バスは、小高区の中心街へ向かった。
地震で壊れた家はきれいに片づけられていて、一見普通の町並みである。
しかし、人っ子一人いない状況が異様さを生んでいる。

「今は誰も住んでいません。空き家です。
昼間戻ってくる人はいるけど。」

その後、再び海岸沿いへ。
阿部さんが被災された現場です。

「あれはもう、見た人でないと判らない。
土煙を立てて襲ってくるんですよ。
引き波がすごかった。
家々が舟のように流れていって。
この世の生き地獄のようだった。」

津波の被災現場は以前も見たけど、被災者からの言葉を聞きながら見ると、まるで違ってくる。

その夜は、メンバーが農家民宿何軒かに分宿した。
私たちは、「いちばん星」という宿に泊まった。
そこで、ご主人とお酒を酌み交わしながら、いろんな話をした。
おいしい料理とお酒で楽しい夜であったが、いろいろ考えさせられることもいっぱいあった。

原町区は、放射線量はそれほど高くはない。
でも、田んぼの作付けは行っていない。
広大な田んぼを見て、感ずるものがある。

翌日、南相馬の農家民宿の面々と意見交換会。
地震や津波の被害。
原発事故の影響。
農家民宿だけど、農業体験ができなくなった現状。
復興への思い。
でも、みんな異口同音に言うのは、
「足を運んでもらえるだけで、有りがたい」。

しらかわ協議会から、最後に会長あいさつ。
「物見遊山的に来て良いのだろうか、と悩みもあったが、来て良かった。来るべきだと思った。
同じ福島でも、判らないことが沢山ある。
ぜひ、他の人も連れてまた来たい。」

皆さんも、是非、南相馬市へ。
農家民宿おすすめです。
詳しくは、南相馬市ふるさと回帰支援センターまで。
http://www.msouma-furusato.jp/

|

« 会津自然エネルギー機構 | トップページ | 独立国家のつくりかた »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 会津自然エネルギー機構 | トップページ | 独立国家のつくりかた »