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2011年9月25日 (日)

ラダック 懐かしい未来

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ラダック
懐かしい未来

ヘレナ・ノーバーグ・ホッジ/著
山と渓谷社/2003

インドの国境地帯、チベットにほど近いラダックは、長い間、西欧文明から隔絶された伝統社会を営んできた。
著者のヘレナ・ノーバーグ・ホッジは、言語学者として1974年に初めてラダックに入り、その伝統社会の素晴らしさに触れ、その後、開発の名の下に西欧文化が流入し伝統社会が崩壊していく様を目の当たりにする。

ヘレナが最初に触れたラダックでは、人々は皆、笑顔であった。
ラダックは標高3000m以上の高地で厳しい自然環境にある。
各集落の規模は、その自然条件によって制約される。
すなわちそこで使える水などの自然条件と耕地によってである。
農作物は、伝統的な地域に適した作物が栽培され、やはり高地に適した家畜を使って農作業が行われる。
それらは、近代的な農業に比べると効率が悪いように見えるが、よその地域から燃料や物資を投入する必要ななく、持続可能なものである。
また、人々はゆったりした時間を有していた。

チベット仏教の影響を深く受けたラダックでは、人との関わりも西欧とはかなり違っている。
他の人との衝突などは殆どなく、口論さえ行われない。
問題が生じると第三者が仲介役として自然発生的に現れ、お互いの言い分を聞いた上で解決案を示し、双方がそれに従う(直接の衝突は無い)。
大家族で過ごしており、子どもと年寄りは良きペアとなっている。
またいろんな世代が子どもたちに関わっており、家族と共同体の垣根さえも曖昧である。
子どもたちは、いろんな人たちに守られている安心感の中で育つ。

個人の所有という概念も希薄で、欲望も殆ど無かった。
生活に必要な物資は、物々交換や労働力との交換によって賄われ、貨幣が使われることは稀であった。
そのため、ラダックの開発官は、
「もし、ラダックをこれから開発しようとするなら、ここの住民にいかにして欲望を抱かせるかという問題を解かなければならない」
と述べたくらいである。

ヘレナは、ラダックに西欧とは違った持続可能な高度な社会の在り方を見た。
しかし、それらは急速に破壊されていく。

都市化が進み、スラムが形成され、ゴミ問題・環境汚染が生じてきた。
若者は西欧にあこがれ、ジーンズをはき、サングラスをかけて、共同体とのつながりを失った。
かつて笑顔にあふれていた人々は、自分たちの文化に劣等感を抱き、自尊心を損なった。
共同体から切り離された人々は、孤独感を抱くようになった。

だが新たな希望も生じた。
ヘレナらが助けとなって設立されたNPOでは、太陽熱を利用した暖房システムや調理器具、小型の水力発電システムなど、小規模分散型のエネルギーシステムの導入や、近代化の負の側面を伝える講演会・伝統劇の実施などを行っている。
伝統社会から学ぶという機運も醸成されてきている。
世界をモノカルチャーに染め上げるグローバリゼーションの波と持続可能で地域に根ざした伝統的社会とのせめぎ合いは、現在でも続いているが、ラダックが世界に発信する思想・社会の在り方は、ますます重要性を帯びている。

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2011年9月22日 (木)

内山節氏の講演会

9月20日、喜多方プラザ文化ホールにおいて、哲学者・立教大学大学院教授、内山節氏の講演会が開催された。
会津流域林業活性化センター主催の会津・阿賀野川流域シンポジウム「森を活かした地域づくり」に招かれたもの。
会場は満席で立ち見が出るほどの盛況ぶり。
林業関係者のみならず、関心の高い若者たちの姿も見えた。

内山氏の講演に先立ち、森を活かした地域づくりに取り組む活動事例の報告が三件、そのほか森林総研の篠原健司氏より「森林に及ぼす放射線の影響」についての講演があった。

内山氏の講演は、日本の森が世界から注目されている、という話から始まった。

「現在、世界中の人が日本の森を見に来ている。田舎の森を見るツアーに多くの外国人が参加している。日本の森が、世界の人にとって価値を持ち始めている。

私は、群馬県上野村に半分住んでいて、学生たちと一緒に地域交流を行っている。都会の若者たちが、滝行などに興味を持って取り組んだり、信仰の山に登ったりしている。
森を考える上で、森単独を考えてはダメで、里や村も含めて考えなくてはならない。地域の人たちがどのように利用してきたのか。

木を植える林業というものは、大体、江戸中期に成立した。といっても有名林業地の話で、群馬県なんかは、戦後に始まった。
群馬県では、明治中期に枕木としての需要からクリの木の伐採を行ったり、炭焼きを行った。炭焼き時代は昭和中頃まで続くが、クリを殆ど伐り尽くした後、スギやカラマツを植えた。
会津には、木地師の伝統がある。

こういった山村生活と山岳信仰は深く結びついていて、山に尊敬の念をもたらしていた。山岳信仰の起源ははっきりしていない。600年代に役行者が山岳信仰を一つにとりまとめた。「自然に還る」のが目的の宗教で、富国強兵を進めていた明治政府から目の敵にされ弾圧された。その結果、衰退が著しい。

もう一度、森とつき合いなおそうという回帰の動きが若者たちにある。山ガールなども居るが、それも一つかもしれない。

わたしはフランスにもよく行くが、東京とパリは大差ないと感じる。料理なども、世界中の料理が展開されていて、パリでも100mも歩けば日本料理店にぶつかる。豆腐、醤油、シイタケ、ヒジキも普通に売っている。
一頃、日本では小中学校が荒れる学校となっていたが、パリでも同様な状況が見られ、オウム真理教の頃も新興宗教があった。また、効率化で余裕の無い生活も同様である。
そういう中で、フランスでも地域に目を向ける動きが広がっている。

フランス林業は、雑木林を伐る林業で、国土の30%弱が森林となっている。山岳部の多くは畜産に供されている。
地方は、過疎化につぐ過疎化の歴史をたどってきた。農業の大規模化で、人が要らなくなってきた。一農家の平均耕作面積は68ヘクタール、この中にはワインなどのブドウ農家も含まれ彼らはそんなに大面積を要さないから、大体100ヘクタール農業となっている。フランス農家の年収は、300~400万円くらいで、半分は国からの直接補償である。
ここから言えることは、「規模拡大しても農民は豊かにならなかった」ということ。
20年代から地方はどんどん過疎化していったが、逆に75年以降は、都市部からの流入により人口が増えている。現在は2/3くらいが流入してきた人たちで占められている。 とは言え、村には仕事がない。定年退職した人たちは年金暮らしだが、現役の人たちは近くの町に勤めに出る。
フランス政府が地域振興のためにやっている政策はひとつだけで「無料の高速道路をたくさん造る」ということ。これにより、地域に人を呼び込んでいる。
田舎に越してきた人たちに、何故移住してきたか訊くと、「人間的な生き方がしたかった」と答える。もっと訊くと、人間的な生き方とは、自然とのつながりを持った生き方。また、一人一人の価値が感じられる生き方、という答えもある。パリで自分が死んでも、町としてはどうでも良い。地域で活動しながら生きていくということは、地域での自分の場所を確保しながら生きていくこと。地域に必要とされること。
フランスの人口は、6800万人で日本の半分。そこに36500もの市町村がある。日本の感覚だと一集落が市町村になっている。学校なども市町村の直営で、教育に関心のある住民が関わっている。こういう地域では一人一人が役割を持たざるを得ない。
 
私の住んでいる上野村なども都市出身者が2割くらいを占めるようになった。

台湾の人たちも、日本の田舎に注目している。彼らに言わせると、集落毎に神社がありお祭りをやっている、伝統文化を継承しており、日本は近代化と伝統を両立させており素晴らしい。聞いていて背中がかゆくなってくるが、多少の誤解も含めて日本の田舎が評価されている。

東日本大震災では、東北で起きたからあの程度で済んでいるが、東京で起きたらと考えると空恐ろしくなる。東京は震度5で殆ど被害が無かった。ライフラインがストップしたら、東京は実に脆い街である。高層40階のマンションなんか、トイレに行くにも階段を下りて公園に行っても、階段を上ってやっとの思いでうちに帰るとまたすぐに行かなくちゃならない。また、隣に誰が住んでいるのか判らない状況では、助け合いが成立するのか。
都市もコミュニティーをつくる必要があり、いかにつくるかが問われる。都市だけではダメで、農山村との結び付きが必要。また、農山村も都市と結び付く必要がある。相互に開いた関係をつくる必要がある。
これは、世界にとってもそうで、世界に開いた関係を築く必要がある。
では、どうやって? 今後の大きなテーマである。

森林の価値というものの、森林だけで考えていてはダメである。
現在は、全てが判らない時代に入った。アメリカ経済もあやしい、ヨーロッパもあやしい、中国もあやしい。世界経済は、みんなが爆弾を抱えており、どこかが爆発すると連鎖的に爆発が起こる。
林業というものは、人類史から見るとほんの一部に過ぎない。
森林を木材生産だけで考えると厳しい。木材生産だけで考えると、木材価格が上昇した際に伐っておしまいになる。そうすると残るのはハゲ山のみ。現に九州あたりでそうなっている。
地域の森林を全体の中で位置づけなくてはならない。

ある国有林で、400年生のスギの保護林が台風でいっぱい倒れた。営林署の人は「たいへんなことになった」と言っていたが、頬がゆるんでいた。
森にはそういう側面がある。
木材生産だけにたよらずに森林に多様な価値をつけていくことが必要。
戦後の日本は日本文化を否定し続けてきたが、現在の若者は逆に日本文化に強い関心を示している。大学院で学生を教えているが、何やりたいと訊くと、日本思想史をやりたい、と言う。滝行も、今の若者は、やってみて「良かった」から良いんだという。感覚を大事にする。昔の学生なら「何の意味があるんだ」と理屈を求めるところである。

フランスの自治は、ある意味簡単で、「生きている人間」だけで議論を戦わせればよい。 一方、日本の自治には、メンバーに「自然」と「死者」が加わる。それを生きている人間が意志決定するので難しい。
それをどうしていたか、というと「祭り」というものが大きな役割を果たしてきた。祭りは、先祖の築いてきた基盤の上に生活することを確認する作業である。また、山に入るときは、山の神に詣でてから入ったりという地域の習慣が伝承されてきた。これらにより、自然・死者の意見を取り入れる仕組みがあった。非常に複雑な自治をやってきた訳である。
それらが明治以降、急速に壊れてきている。

若者たちを中心に、見直しの動きが来ている。
森と共にあった文化をどのように捉えるか。世界中の人が日本の思想を勉強している。不確定な時代、これからの指針となる知恵がそこにあるのではないか。」

万雷の拍手で講演が終わった。
地域にとって、森林とは何か?
氏の講演は、みんなに深い問いを残した。

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2011年9月19日 (月)

ホットスポット

南会津は安全だよー、と言い続けてきた父ちゃん。
残念ながら、そうとは言い切れないデータが発表された。

平成23年9月12日
「文部科学省による福島県西部の航空機モニタリングの測定結果について」
http://radioactivity.mext.go.jp/ja/1910/2011/09/1910_0912.pdf

これによると、南会津町や只見町の一部に飛び地的にホットスポットがある。
ちょっとショックである。
まあ、空間線量はそれほど高くないので、生活には支障ないかもしれないが、キノコ・山菜には影響あるかなあ。

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2011年9月18日 (日)

行ってきました大宴会

行ってきました大宴会。
しょうへいを除く家族三人。
(しょうへいはどんなに誘っても行こうとは言わなんだ。)

会場は、会津山村道場うさぎの森オートキャンプ場。
音楽をやる舞台と出店、ワークショップが広々とした会場に点在してます。

父ちゃん参加のワークショップ。
まずは、火起こし。
講師は、こめらの森もやっている火起こ師、大西さん。
錐揉み式の正当な火起こしです。
3~4人づつのグループに分かれて火起こしをしました。
なかなかうまくいきません。
何度もやり直しながら挑戦。
父ちゃんは、手の皮がむけてしまいました。
痛い痛い。
いっちゃんも挑戦しました。
なかなか良い手つきです。
つきそうだな、と思っても、煙が消えてしまったり・・・。
結局、始まりから50分もかけて、ようやく火が起こりました。
ついて良かった。

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次に父ちゃんがひっかかったワークショップは、ロケットストーブ。
かねてより気にかかっていた薪ストーブです。
実物を見て、なるほどなるほど。
これは面白い。
燃焼部を煙道と一体化させ周りを断熱することで、高い燃焼効率を実現。
少ない薪であっという間にお湯を沸かすことができます。
実際に製作もしました。
ペール缶を金切りバサミでちょきちょき。
そこに90°に曲がった煙突を設置。
煙突の周りに軽石を詰め込みます。
水平部に金属板を敷いてできあがり。
思ったよりずっと簡単です。

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講師陣は、山都町在住。
今度一緒にワークショップやりましょう、と約束しました。

その後も、薪割りをやったり。
いっちゃんたちもコマまわしや竹馬、空中ブランコなどで遊びました。

おいおい、音楽祭なのに全然音楽聴いていないぞ。

お腹もすいたので、ようやく舞台の前に椅子を並べて、食事を摂りながら音楽に耳を傾けました。

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日も暮れて、メインアーティストの高野寛登場の前に篝火に火がともされます。
点火式は、もちろん大西さん。
みんなの祈りを込めた火がロウソクリレーで篝火に。

そして高野寛のステージ。
おお、結構知っている曲ばっかりだな。
アンコールには他のアーティストも混ざってセッション。
大盛り上がりのうちに、大宴会は終了しました。

田舎の素人衆が作り上げた野外音楽フェス。
なかなかのもんです。

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2011年9月 4日 (日)

もうすぐ大宴会

9月18日に開催される「大宴会in南会津2011」。
カフェ・ジーママ店主の五十嵐さんが、主催団体、南会津ハッピーカンパニーの代表を務めています。
父ちゃん、お茶飲みがてらに五十嵐さんに訊きました。

「今年は参加できると思うんだけど、手伝いはどう?
スタッフ足りてる?」
「スタッフは、結構いるんだけど、お客さんがね。」

大宴会まで、あと二週間です。

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2011年9月 3日 (土)

椅子ができました

天栄村の旧羽鳥小学校。
ここに工房を構える若き家具職人がいます。
「めばえ工舎」の若林くん。
http://mebae.shop-pro.jp/

昨年、郡山の台所のカウンターテーブルに置く椅子を発注しました。
脚の形の打合せには、しょうへいも同席。
しょうへいの椅子だけは、しょうへいデザインの脚になりました。
その椅子の製作も大震災の影響で中断され、ようやく完成。
完成の連絡を受けてからも、なかなか取りに行く暇がなく、先日ようやく受け取ることができました。

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シンプルな形ですが良いデザインです。
座面を並べると一枚の板だったということが判ります。
うーん、面白い。

郡山の家で使えないのが残念。

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