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2008年3月29日 (土)

「家を出る日のために」

かあちゃんです。
こんな本読みました。

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家を出る日のために
辰巳 渚 著
理論社

理論社の「よりみちパン!セ」シリーズは、『学校でも家でも学べない、キミが知りたい、リアルでたいせつな知恵が満載!!』で中学生以上のすべての人のためのYA(ヤングアダルト)新書のシリーズで、本作品が収められています。

「家を出る日」といって、かあちゃんのような立場の人にぴったりなのは、「離婚」なのかなあ。
でも、この本で言う「家を出る日」は、子どもが「自立した生活を始める日」のこと。今日は3月末の土曜日、そんな日を迎えている子どもたち(若者たち)もいるかも知れませんね。

その日のためのイメージトレーニングと、実際に必要なもの、技術、「しっかりと誠実に暮らす」ことの意味が、わかりやすく語られる。
最後は「実技テスト」と「常識テスト」「筆記テスト」からなる「家出テスト」が用意されているので、試してみよう。
お母さん世代の著者から読者への「おせっかい」なのだそうだ。 

きっと、うちのお手伝いがなにも特別なことでなく、子どもも家の仕事を担っていた頃には、わざわざ、他人がこのような方法で「おせっかい」しなくとも、親から子へと受け継がれていくことだったんだろうなあ。

かあちゃんは、中学、高校生時代の自分のことを思い出すと、なんといっても「勉強すること」が優先され、うちのお手伝いが免除されていたような気がする。
お手伝いしないのはとても楽ちんだったけれど、「一人で暮らすこと」に思いを馳せることも、そのために必要な知識を知ろうともしなかったから、一人になったときに、その心構えすらなく、なんだか失敗したなーと、とてもつらかったことを、著者のあとがきを読みながら思い出して、涙がこぼれそうになった。また、そんな気持ちになったのは、かあちゃんだけじゃなかったんだということもわかって、少し嬉しかった。

以下、著者のあとがきより抜粋(184ページ)。

 さびしさと解放感とが混ざった複雑な気持ちで、ダンボール箱が積んである部屋でひとり片づけをつづけ、ひとつのダンボール箱を開けたとき、中から家で使っていた私の茶碗やはしが出てきた。湯飲みや急須も。そして、何合かの米や味噌と、お茶っぱの入った茶筒も。
 その時に、こらえていた涙がどっと出てきて、しばらく止まらなかったことをよく良く覚えている。私は、ひとりになったんだ。母は、どれだけ悲しかっただろう。これから、ひとりでやっていけるだろうか。茶碗やはしが必要なことにもいままで気づかなかったのに、ちゃんと暮らしていけるだろうか。いろいろなことが、頭に浮かんだ。

2才くらいの子どもが、なんでも「じぶんで」「じぶんで」と言い始めたときから、そのトレーニングは始まっているのかもね。
危なっかしくても、いらいらするほど時間がかかっても、「大人はじっと見守る」というトレーニングも。
いくらトレーニングをしたとしても、ひとりにならなければ気が付かないことがたくさんあることには、変わりないのだが…。

さて、うちの子どもたちにも、家を出る日のために、いろんな経験を重ねていってもらうための「何でもかんでもお手伝い作戦」開始だー!

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2008年3月27日 (木)

海馬 脳は疲れない

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海馬 
脳は疲れない

池谷裕二・糸井重里/著
朝日出版社/2002

父ちゃんです。

脳の中で記憶をつかさどるところが海馬と呼ばれるところです。
脳の神経細胞は減る一方かと思ったら、海馬の神経細胞は大人になってからも増やせるそうな。
記憶力もどんどん良くなる、と言う。

読んでて、俺もまだまだ大丈夫だ、と思えて勇気が出てくる本です。

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そうだ、葉っぱを売ろう!

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そうだ、葉っぱを売ろう!
過疎の町、どん底からの再生

横石知二・著
ソフトバンククリエイティブ/2007

父ちゃんです。

徳島県上勝町。
おばあちゃんたちが葉っぱで稼ぐ町として、全国的に有名なところである。
その葉っぱビジネスの仕掛け人、横石氏による著書である。

おばあちゃんたちが、料理に添えられるつまものの葉っぱを出荷している。
売上高なんと2億6千万円。
人口約2千人の過疎にあえぐ小さな山村が、この彩(いろどり)事業でよみがえった。
おばあちゃんたちは、毎日働き元気そのもの。
病気になっている暇もない。
子どもや孫たちも帰ってきて、人口も増えているそうだ。

しかし、この町も30年前は、ひどい状況だった。
男は朝っぱらから大酒をあおり、女は日々他人の悪口をいう、どん底の町だった。
そこに、農協の営農指導員として横石青年が赴任した。

横石青年は、町民とケンカしながらも、がむしゃらに改革を続けていく。
その甲斐あって、農業の売り上げも伸びていく。
そんなある日、寿司屋で目にしたつまもののモミジの葉っぱを見てひらめく。
そうだ、葉っぱを売ろう!

一人の人間が新しい市場を開拓し、町全体で取り組み、町が再生していく物語。
それは、そのまま横石氏の半生と重なる。
文句なく面白く、まちおこしのための様々なヒントが得られる。
人を動かすには、自分ががむしゃらになって頑張らないとダメなんだ、ということが痛感させられた。

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5年3組リョウタ組

かあちゃんです。
こんな本読みました。

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5年3組リョウタ組
石田衣良 著
角川書店

石田さんは、現代社会の問題点をどんどん作品として発表されるので、なにを読もうか迷うほどです。
でもかあちゃん、実は初めて読んだ作品(内緒です)の中で、いかにも取材メモを写したみたいな、あまりこなれていない文章が少し気になって、それ以来読んでいませんでした。
ところが、うちで取ってる新聞の日曜版の1面の全部で、先日から「チッチと子」という石田さんの小説の連載が始まりました。
ひさしぶりに読んでみましたら、主人公が石田さんと同じ「作家」だからなのか、神楽坂(かあちゃんがこの秋から何度か通ったところ)に住んでいる設定に親近感を覚えるからなのか、お話しに無理がなく、とても読みやすかったのです。これから、日曜日の楽しみが増えました。

そんなこんなで、この「5年3組リョウタ組」を手に取りました。
本作品もまた、新聞に連載されていたようです(2006年中日新聞ほか)。

主人公の中道良太は25才。茶髪でシルバーのペンダントをして年輩の先生ににらまれることの多い小学校の教師。5年3組の担任を受け持った一年間に起こる事件に、リョウタは正面から向き合う。

リョウタの努める希望の丘小学校は100年の伝統を持ち、公立だが成績を重視する校風。5学年の担任はリョウタを入れて5人。リョウタの受け持つクラスは、成績がビリとバカにされるが、いつも成績をトップにする教師、染谷龍一はなぜかリョウタを信頼しており、仲良くなる。
二人は、事件解決のため、持てる力を出し合う。

エピソードは4つあるが、私は3つ目の「十二月 みんなの家」が好き。
リョウタのクラスの児童が関わる事件。
リョウタは、学校での記者会見に来たマスコミの前で涙してしまう。
その一生懸命さは、リョウタの好感度はグンとUPさせ、ヤンキー先生を意識しているのか?と思うような感じがして、私は少しひいてしまったけど、その事件後、クラス運営に子どもたちが主体的に関わるところが、とてもいいのだ。
子どもを信じてまかせるリョウタ先生も、子どもたちの熱意も、子どもを支える親の熱意も伝わってくるのだ。
うまくいきすぎ、と思うかも知れないけど、それを承知で読んでも、すかっと爽快。
そのまま突っ走っていって~run! と応援したくなる。

かあちゃんも「学校の問題は学校で解決して欲しい」と思っていた無責任な親で、転校してきた当初、しょうへいがクラスになじめないのは学校のせいだ!なんて、つい思ってしまっていた。
おやおや~ですね。

でも、「根っこ」は地面の下で、複雑にからみあっていて、表に見えるところだけを見ていても、正体はわからないのである。

で、5年3組リョウタ組を読んでいて気付いたことがある。
子どもたちを「束ねよう」とするから無理なのである。
押さえつけ、言いなりにさせることに終始していたら、なにも解決しない。
大切なのは、ひとりひとりを、ちゃんと見て、話を聞いて、語りかけること!
リョウタは、教育者としてもまだ駆け出しで、恋愛経験も少ない独身男なのに、その辺りをちゃんとわかっている。
リョウタのような先生が増えて欲しいと願いながら、読み終えた。

ところで、3月末はschool教育現場におられる先生方にとっても人事異動の時期。
しょうへいの担任で一年間お世話になった先生も、かあちゃんが図書館ボランティアでお世話になった先生も、揃って転勤が発表されました。
「5年3組リョウタ組」の感想もお聞きしたかったのに、お別れが残念です。
一年間ありがとうございました。
新任地でも、どうぞ、子どもたちの話に耳earを傾けてください。お元気で。

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2008年3月21日 (金)

雪割り

父ちゃんです。

このところの陽気で、雪がどんどん融けています。
でも、日陰の雪は固く、氷の塊となって残っています。
今日の陽気で、だいぶ氷もゆるんできているので、雪割り作業を行いました。
角スコップやつるはしで雪を割って、日の当たる場所に放ります。

やっていると、子どもたちも手伝ってくれました。

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雪が除去されて、でてきた地面にフキノトウがありました。

南会津もようやく春を迎えます。

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落ち葉焚き

父ちゃんです。

日曜日、子どもたちを連れて岩瀬薪割りクラブに行ってきました。
父ちゃんは子ども担当。
参加した子どもたちみんなで、ツリーハウスや広場に積もった落ち葉や枝を集めて焚き火をしました。
詳しくは「ふくしま薪ネット」をご覧下さい。

以下、その日のしょうへいの日記。

今日は、たきびをしに山に行きました。
さいしょ、遊んでから、木を集めて、たき火をしました。
たのしかったです。
その後また遊んでいると、ブーメランを木にひっかけてしまったので、とってもらいました、大変でした。
その後お昼を食べました。
おいしかったです。
その後、また遊んでからたきびをして、また遊んでたき火をしました。
たのしかったです。

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2008年3月18日 (火)

タルト・タタンの夢

かあちゃんです。
こんな本読みました。

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タルト・タタンの夢

近藤史恵 著
東京創元社

ミステリーは、血なまぐさい感じという先入観があって、めったなことでは手を出さなかったかあちゃんですが、先日ここでご紹介した「サクリファイス」の著者、近藤史恵さんの「血の出ない」お薦めのミステリーがありますよ、と、お友達のmariruさんに教えていただき、読んでみました。ありがとうございます!

舞台は、「ビストロ・パ・マル」という小さなフレンチレストラン。パ・マルとは、フランス語で「悪くない」という意味なんだそうだ。
そのレストランの店長兼料理長の三舟が、鮮やかに謎を解明していく、7つの料理にまつわる小さなミステリーを、ホール係のぼく高築智行が語る、短編集。
初出はすべて、東京創元社のミステリー専門誌「ミステリーズ!」

私は、お昼直前に読んだので、おなかがグーグー鳴りそうでした。
丁寧に料理され、お客さまの前に差し出されるお料理の数々、それに合うワイン、最後を占めるデザートのデセール(お菓子)やフロマージュ(チーズ)。
どれ一つとして、食べたことがありませんが(笑)、本当においしそう~
著者の近藤さんは、きっと取材で、おいしいお店を食べ歩いたんだろうな~と、勝手に想像しながら、写真のない料理本を見ているように、読み進めていました。

7つのエピソードは、どれも、恋人、友人、兄弟などとの間に生じたちょっとした不協和音に、無口な三舟シェフが気付き、料理を提供しながらそれを解きほぐしていくというストーリ展開です。
おいしいお料理と、温かい人とのふれあいが感じられ、どのエピソードも、読み終えると、ホッとします。

これは、ぜひドラマ化希望ですね。
登場人物は、レストランのスタッフ4人と、お客様1~3名ずつと少なめです。
語り手である高築智行くんには、かあちゃんの一押し「小栗旬くん」で、お願いします。
ほかのキャストは、 ♪た~だい~ま考えちゅ~♪  です。

以下、高築くん以外のレストランのスタッフ3人の様子を、本文から抜粋します。
キャスティングの参考にして下さいね。

三舟シェフは無口だ。長めの髪を後ろで結び、無精ひげなど生やして、少し崩れたいい男といった風情なのだが、志村さん曰く、「あれは、武士をイメージしてやっているらしい」とのことである。(11ページ)

料理人の志村さん。男前の部類に入る男性だけど、身体は細いし、なんとなく線が細い印象である。(79ページ) 

金子さんは、<パ・マル>のソムリエである。まだ二十代後半、いさぎよいほど短く刈り上げた髪が印象的な女性で、ワイン好きが高じてOLを辞め、この店に勤めはじめたという。(10ページ)

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2008年3月17日 (月)

ライラの冒険 『黄金の羅針盤』

かあちゃんです。
こんな本読みました。

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ライラの冒険 『黄金の羅針盤』上・下

フィリップ・プルマン作
大久保寛 訳
新潮文庫

3月初めから公開されている映画の原作本です。
ファンタジーがブームになってからというもの、本屋さんには、ずらーっと似たように表紙のファンタジー本が並んでますね。
しかも、どれも結構分厚くて、読み始めるのに、ちょっと勇気が要ります。
かあちゃんには、「なんとなく手を出さない」コーナーでした。

でも、かあちゃんがこの秋から受講している読書に関するセミナーの中で、あの「文学賞メッタ斬り!」などの著書のある、辛口な書評で有名な豊崎由美さんが講師だった時、豊崎さんが「この頃のファンタジーなら、ライラはいいよね」とおっしゃったのです。
おー、何がいいのかはわからないけど、豊崎さんがいいというなら読んでみようか、とさっそく買ってきました。(そう思わせる豊崎さんって、凄いです)

「あ、ライラだ。この前、ちょっと立ち読みしたんだ。」と、まずしょうへいが読み始めました。
読み始めると止まりません。
ごはんの時間も、ふとんに入っても、しょうへいはずーっと読んでいます。
あっという間に、第1作を読み、「早く第2作(『神秘の短剣』上・下)買ってきてよ」とせかされ、とうとう今は、第3作(『琥珀の望遠鏡』上・下)の下巻を読んでいるようです。
相当気に入ったようですね。

じゃあ、そろそろかあちゃんも読んでみるか。
かあちゃんは、東京に行く電車に片道4時間近く乗るので、ちょうどいい。
しょうへいからは、主人公がライラという11才の女の子で、いつもダイモン(守護精霊)のパンタライモンと一緒にいることは、聞かされていた。

ライラが冒険の旅に出かけるまでのいきさつが、第1作の第一部(上巻の途中まで)。
なぜ旅に出かけたのか、とても危険な旅に出かける動機がしっかりと描かれています。
勢いでいっちゃった、みたいな、安直な設定ではないんですね。

ある時、ライラのおじアスリエル卿が、ライラの住むジョーダン学寮にやって来た。
アスリエル卿は、学寮長、学者たち、牧師に、北の国で撮影したオーロラや”ダスト”の映った数枚のスライドや、氷漬けの生首などを見せる。
アスリエル卿が再び、北の国へ行く資金提供をお願いするために。
学者達の会話にでてくることは、その時のライラには何のことかがわからない。
もちろん、読んでいる私にもわからない。
それらは、北の国に向かう旅(つまり、物語)が進むに連れて、次第にわかっていくのだ。

学寮長と司書は、アスリエル卿を見送ったあとに語り合う。
以下、抜粋する。

「ライラはこの件すべてにおいて、ある役割を果たす。しかも、大きな役割を。皮肉なことに、彼女は、自分がなにをやっているのかを知らないままに、すべてをやらなくてはならないのだ。(中略)あの子に北の国への旅などさせたくないものだ。せめて、そのことを話せたらいいんだが…」(59ページ)
「…裏切り者になるのは、彼女なのさ。その経験はつらいものになる。もちろん、彼女は、そうなることを知ってはならぬのだが…」
(中略)
「若者のために心配するのは、年よりのつとめですよ。」
「そして、若者のつとめは、年よりの不安を笑いとばすことです。」(60ページ)

なにが起こるのか、全然わからない時点での、この会話。
読まずにいられなくなるわけです。

やがて、ライラは、親友のロジャーが人さらいにさらわれたことを知る。
その頃、ライラは、学寮長から、素敵な女性学者コールター夫人の助手になり、ジョーダン学寮を離れて暮らすことをいいわたされる。その時、金とガラスでできたずっしりと重く羅針盤に似た「真理計(アレシオメーター)」を手渡され、「だれにもいうんじゃないぞ」と念を押された。

これで、ついに、ライラは黄金の羅針盤を持ち、さらわれた子ども助けるために北の国へ旅に出るのだが、それには、まだまだ多くの人と出会いがあるのだ~。
(なかなか前に進まない紹介ですみません。でもこの先は、どうぞ、読んでみて、やめられないとまらないを、味わって下さいね)

ところで、いつも一緒のダイモンについてです。
・ダイモンは人間なら誰にでもいる(クマはダイモンを持たない)
・ダイモンは、動物の姿をしているが、人と話しをする。
・人が子どもの頃、ダイモンはいろいろ姿を変えるが、思春期を過ぎ、大人になると、姿を変えなくなる
・他人のダイモンに触れては行けないし、話してもいけない
・その人が死ぬと、そのダイモンも死ぬ
・人とダイモンは離れると不安になる、苦痛を感じる、生きる気力を失う
などなど…
ダイモンって何だろう?と考えると、おもしろいです。
思春期以降、決まってしまうというところが、思春期の不思議を知りたいかあちゃんには、とても興味深い。

映画のHPで自分のダイモン占いができますよ。ダイモンのところをクリックです。暇なときにお試し下さいね。

しょうへいに「今ここを読んでる」と報告すると、「あ~、あれがこうして、どうするところだね。」と、登場人物の名前もすらすらと、解説してくれます。
「あ~、それ以上はいわないで~」って、いわないと、延々話し続けるしょうへいです。

さて、しょうへいは、もうすぐ春休み。
映画「ライラの冒険」が観たいそうだ。
「あれが、映画になったら、どんな風になるのか、確かめたいんだー」と、生意気にも、私が思ってることと同じことを言ってます。
原作を先に読むと、映画が自分の作り上げた世界と違っていて、がっかりすることも多いけど、映画は映画と割り切って、楽しむといいんでしょうね、きっと。

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2008年3月11日 (火)

固雪

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父ちゃんです。

写真は、歴史民俗資料館での1コマ。
春先の雪は、溶けたり凍ったりを繰り返していて固く締まっています。
固雪と言って、どこでも歩けるのです。
子どもたちは大喜びで、雪原を歩き回っていました。

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しょうへいが履いているのは、昔、雪が積もったときに歩道をつけるために使った踏み俵(っていうのかな)。
これで、雪を踏み固めます。
歩くための道具ではないです。
今はきれいに除雪してしまうので、使われなくなった道具です。
ちなみに、よく見えないけど、いっちゃんが履いているのは藁靴です。

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2008年3月 9日 (日)

天神講

父ちゃんです。

どこの地区の子ども会にも、六年生を送り新一年生を迎える行事はあって、大概、六年生を送る会などという名前がついていると思う。
田島のそれは、「天神講」という。

え、天神講? 何それ?
父ちゃんも会津生まれだが、それは聞いたことないなー。

その疑問に応えるべく、公民館主催の「天神講を体験しよう!」に参加しました。
そのチラシによると、
「天神講は、昔から広く日本中で行われ、南会津町でも地区ごとに行われてきました」
とある。
そうか、日本中で行われていたのか・・・。
ちなみに、郡山生まれの母ちゃんも判らないようである。

今回は、奥会津地方歴史民俗資料館というところの古民家で行われ、雰囲気抜群。
初めに学芸員から、天神講の由来について説明がありました。

それによると、天神講は、昔から広く日本中で行われてきた子どもの祭りである。
天神様というのは、正しくは「天満大自在天神」と言い、菅原道真を祭ったもの。
講は、仲間同士で神様を迎えてお祭りし、神仏にお願いし、そのあと会食すること。
天神様は学問の神様なので、子どもたちが天神様を拝む天神講が始まったのだ、とか。
昔の天神講は、子どもたちが食糧を家々から集め、宿の人に料理してもらって、自主的に行っていた行事だそうだ。
そして、みんなで唱えごとをして、会食をした。

ふーん、今はお膳立てしてもらって、会食だけだねー。
天神講も名ばかりになってしまっている、ということか。

この後、昔話や割り箸鉄砲つくりをやって楽しく過ごし、五目ごはんの会食をした。
さて、現代の子どもたち20人くらいは、今日の話を判ったのだろうか。

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2008年3月 8日 (土)

薪割りクラブは来週です

父ちゃんです。

今日はいづみを連れて響きの森(旧岩瀬村)へ。
来週行われる岩瀬薪割りクラブの打合せと準備である。
行くと、焚き火の周りでは既に打合せが始まっていた。
父ちゃんが何も発言しなくても、物事がどんどん決まっていく。
いやあ、頼もしいなあ。
立ち上げた本人としては、感慨深いものがある。

岩瀬薪割りクラブは今度の日曜日。
皆さん、どうぞ、遊び(働き)に来てください。

さて、父ちゃんといづみは、お昼で響きの森をあとにして、田島へとんぼ返り。
一人で留守番しているしょうへいが心配だ。
しょうへいは、午前中ソロバン塾で何かあると言って、響きの森行きを断ったのだ。
母ちゃんは東京だし。

帰ると、しょうへいはコタツにもぐってマンガを読んでいた。
ちょっと心配していただけに、無性に腹が立つ。
親というのは勝手なものだ。

そして、子どもたちを連れて、今度は若松へ。
じいちゃんが入院したので見舞いに行く。
見舞ったあと、ばあちゃんのところで風呂をもらって晩ご飯をごちそうになり、田島に帰ってきた。
今日も長い一日であった。

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2008年3月 7日 (金)

母ちゃんのいない夜

父ちゃんです。

母ちゃんがまた東京へ行ってしまいました。
今回は、木曜から日曜まで。
ちょっと長いなー。
父ちゃんピンチ!

さて、最初の夜。
晩ご飯はどうしようかな。
冷蔵庫を開けるとキムチが目に入りました。
子どもたちはキムチが大好き。
そうだ! 豚キム丼にしよう。

豚のバラ肉をごま油で炒めます。
キムチだけだとちょっと辛いので、タマネギを切って、一緒に炒めます。
キムチも投入、さっと炒めて、エノキダケをのせ、ちょっとお酒を入れてフタをして蒸します。
湯気が出てきたら、蓋を開けて溶き卵を入れて、半熟になったらできあがり。
丼飯にのせて食卓へ。

ちょっと子どもたちには多いかな、という分量だったのですが、二人ともぱくぱく食べました。

その後、みんなでトランプやったり、平穏に過ぎていきました。
ようし、順調順調。

さあ、寝るよ。
いつも、いづみの隣には母ちゃんが寝ています。
そこに父ちゃんが寝ようとすると、
「お父さんは、あっちに行って」と、いづみは凄い剣幕。
そのうち、大声で泣き出しました。

ちょっと、淋しかったようです。

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2008年3月 5日 (水)

理解という名の愛がほしい

2006yamada

理解という名の愛がほしい
-おとなの小論文教室。Ⅱ

山田ズーニー 著
河出書房新社/2006

父ちゃんです。

山田ズーニーさんの著書は何冊か紹介したので、あと紹介するのは止めておこうと思ったのですが、今回は書かずにはいられません。
本書は、「ほぼ日刊イトイ新聞」に連載中のコラム「おとなの小論文教室。」からの2冊目です。
読み始めるとやめられなくなり、一気に読んでしまいました。
ズーニーさんの言葉は、いつも心の深いところに響くのですが、今回は心をわしづかみにされた感じで、気が付くと涙がぼろぼろ出ていました。

今回のテーマは、ずばり”愛”!
愛の連鎖について、深く考察しています。

自分の身に照らしてみると、自分は時折子どもに対して、ひどく冷淡な態度を取ることがあり、その態度を取ったあとはひどく自己嫌悪に陥ります。
それは一体何だったのか?
ああ、そうか。
お腹がすいていたんだな。

愛情というのは、ごはんと同じで定期的に与えられないとお腹がすいてしまう。
そして、お腹が満たされていないと、人にも分けられない。

この辺りの考察は、本書を読んでほしい。
本書からも愛を受け、もっと人に優しくなれるような気がする父ちゃんです。

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